
釣り情報とどう付き合うか? 釣果情報サイトetc. をうまく使いこなすアイデア
いやー、釣りに関するあれこれの情報、ホントに多くなりましたよね。……などと思ってしまうのは、おっさんの感想でしょうか。
ひと昔前は、と言えば、専門の週刊新聞か雑誌、ショップが中心。VHSのビデオ(!)や地上波のテレビ放送もありましたが、まあそんなものです。
ところが今は、インターネットです。釣果情報も釣り方も水中映像もなんでもござれ。Youtubeを眺めてみると、本当に隔世の感があります(などとあえておっさんくさい言葉を使ってみますが 🙂 )。
当然、そのメリットは大きなものがあります。情報を誰でも手に入れられるということは、全体のレベルが上がる、ということでもあります。わからないことは、誰かが答えを与えてくれます。特殊なテクニックも、動画で説明されれば理解しやすくなります。
ただ、一方で、デメリットというか、気をつけなきゃ、と思うこともあります。情報は情報、実際に自分が釣るとなれば、それはまた別の話です。そこで、この場をお借りして、情報があふれる世の中にどう適応したら良いか、少し考えてみたいと思います。もちろん唯一の正解などありません。が、まずは、その気をつけるべき理由について。
※ここでは、情報という言葉を、主にメディアを通して伝えられる「外部情報」というぐらいの意味で使っています。
釣り情報に接する際の落とし穴5つ
1:いわゆる「フィルターバブル」
フィルターバブルとは、情報が泡のようなものに閉じ込められ、その外側が見えなくなってしまうことを指します。
元々は、その名もズバリ『The Filter Bubble』という本で提唱された概念です。
『閉じこもるインターネット』イーライ・パリサー
https://www.amazon.co.jp/dp/4152092769/
(詳しくは、インターネットの利点を生かして検索していただくとして)一言で言えば、自分が見たいものしか見えなくなる、というデメリットです。言い換えれば、泡の外側にはもっと広く有効な情報があるかもしれないのに、泡の内側の狭い範囲しか見えていない、ということです。
例えばGoogle検索は、基本的に「欲しいもの」を手に入れる仕組みです。あるキーワードを入力すれば、そのキーワードそのものか、あるいは近いものしか表示されません。そしてその検索結果は、その人向けにカスタマイズされています。さらに、ソーシャルメディアは、これまでの閲覧履歴から、「あなた好みのもの」を表示するアルゴリズムを備えています。広告の表示システムも、AmazonなどのECも、同じ機能を備えています。こういった便利なものが、泡の膜を張り、私たちを閉じ込めます。
釣りのことで言えば、例えば「近頃は○○○社の○○○というルアーが釣れている」ように見えたとしても、それが自分が居る泡の中だけのこと、という可能性があります。本当は別にもっと有効なルアーがあったとしても、です。
2:いわゆる「エコーチェンバー」
エコー=共鳴、チェンバー=室。つまり、情報が情報を呼び、共鳴し、実際より大きく聞こえる、という現象です。
Twitterの「トレンド」などが分かりやすいでしょうか。一定数の人々がある出来事に反応すると、トレンドに入ります。そしてトレンドを見た人がそのトレンドに関して言及し、もう少し大きくなるとYahoo!に取り上げられ、それを見た人は実際より大きな出来事であるという印象を持ちます。インターネット、ソーシャルメディアの情報増幅装置としての側面です。
一言で言えば、重要な情報のように思えても、それは実態以上に大きく扱われているのかもしれない、ということです。やたらと自分のタイムラインに流れてくるので大ごとだと感じても、それは増幅装置を通ったからで、実はたいして重要でない情報なのかもしれない、ということです。
潮来の前川でよく釣れたという情報が数件公開されたとします。それを見た人が現場に行き、釣り、また情報を公開します。そうすると、さらに釣れているように見えます。つまり、単にそこに行く人が多いから、釣れているように見える、という状態です。
この現象については、科学的、数学的にモデル化を行ったマサチューセッツ工科大学・アレックス・ペンドランドの本が非常に参考になります。
ソーシャル物理学: 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学
https://www.amazon.co.jp/dp/4794223579/
3:マーケティングとしての情報公開という側面
これはいわずもがな、かもしれません。世の中の情報の多くは、広い意味でのマーケティングを目的として作られている、という現実です。
有名なアングラーが雑誌に出たり、Youtube動画を公開したりするのは、自社製品のプロモーションの一環、かもしれません。雑誌社に依頼されて出演したとしても、そこには「宣伝」という目的が存在することがほとんどでしょう。あるいは、その人自身のプロモーションのため、という側面もあります。どんな世界も、有名になればなにかしらのビジネスになります。
トーナメントに出て公平な場で競い合っている釣り人が、自分の名を冠して作るタックルは、ある意味でプライドの塊とも言えるものだと思います。そうしたものについて、自身で「これは良いものだ」と語るのは当然のことです。それが悪いと言っているわけではなく、そうした側面がある、という現実を述べているだけです。
実際には、どのアングラーも編集者も、読者の役に立つものを目指して情報作りをしているはずです。当然ながら、釣りに関して、誰よりも深く考えている人たちでしょう。そんな人たちの声には、耳を傾ける価値があるはずです。ただ、それを鵜呑みにして、「釣れる気」で遊ぶのか、それともそうした情報を情報として生かし、自らのものにするか。
少し違う話ですが、「伝えきれない」という課題もあります。もちろん作り手たちは、できるだけ正しく伝わるように努力をします。例えばテキサスリグのズル引きの解説をするとして、その動作や感じていることをなるべく詳しく言葉として、その核心に迫ろうとします。しかし、必ずしも全てを説明しきれるわけではないかもしれません。例えば、「釣れるボトムへのコンタクト具合」といったような曖昧な感覚のようなものは、そもそも言語化できないかもしれません。そして仮に全て伝えきったとしても、情報の受け手が、それを実行に移せるかどうかはまた別の話です。
4:ゆがんだ認識を生む(かもしれない)
「SNSで幸福度が下がる」というような調査結果があるそうです。
インスタグラムのタイムラインに流れる他人のきらびやかな生活と、自分の冴えない日常を比べてしまい、「どうして自分はこんなんなんだ……」と落ち込んだり。それが虚像だとしても、です。
釣りの世界でも、そういうことがあるかもしれません。釣果情報などを見ていると、どうにも他の人たちはずいぶん釣っているような印象を受けることがあります。ただ、それがどこまで有効な情報なのかは、簡単には判断がつきません。その日、あるタイミングだけ爆釣、だったのかもしれませんし、表に出ない、あまり釣れなかった人がどれだけいたのかもわかりません。釣れるイメージだけを持って湖畔に立ち、しかしぜんぜん釣れなくてがっかり、というのはよくある体感ではないでしょうか。言い方を変えれば、外部からの情報に接することで、現実とのギャップができてしまう可能性がある、ということです。
多くの人は、実際に釣りをする時間より、それ以外の時間の方が圧倒的に長いでしょう。釣りに関するアレコレを吸収しすぎて、実行が足りない状態になる、ということもあり得ます。妄想だけが膨らむのは、当然良いことではありません。妄想では魚は釣れません。ある種の「自家中毒」と言えるでしょうか。
5:情報が玉石混淆
これはいわずもがな、ですね。以前からあちこちで、さかんに言われていることです。特に、上記のマーケティング的な目的で作られた、アクセス数を集めるだけで中身が無いコンテンツは、インターネットのザンネンな側面だと感じています。
難しいのは、そこに悪意が存在しない場合です。「クランクベイト○○○○は釣れる!」というブログ記事があったとします。その執筆者は、本当にそう信じているのだと思います。しかし、果たして、その人はどれだけの匹数を釣っているのか、どんな状況で出すのか、他のクランクベイトや釣り方とどう比較したのか。もちろん、執筆者のかたには、本当に釣れるルアーなのだと思います。否定するつもりはまったくありません。ただ、読み手が、それをまるっと鵜呑みにしてしまうのは、ナイーブな情報への接し方ではないか、と思えます。
では、どう釣り情報に接したらしたら良いのか?
じゃあどうしたらいいのか、という話ですが、当然、唯一の正解などないでしょう。何かデータアナリスト的に自分の情報システムを作って遊ぶとか、逆に一切外部情報を取り込まずに自分の頭で考える、というのも楽しい道です。
一般的なことを言えば、いわゆる「情報リテラシー」ということになるのだと思います。このスマルア技研を好んで読むような方には、大学の初年度に行われるような、情報リテラシー講座的なものが親しみやすいでしょうか。一例を挙げておきます。
情報リテラシー入門テキスト|慶應義塾大学日吉メディアセンター
http://www.hc.lib.keio.ac.jp/studyskills/textbook.html
あるいは、行動経済学のような学問も、情報への接し方に関する知恵をさずけてくれるかもしれません。人間が共通して持っているの思考のクセのようなものに光を当てる分野です。一例をあげれば、「1,000円もらううれしさより、1,000円落とした落胆の方が大きい」というような話です。ざっくりその知見をまとめれば、人間が合理的に行動しているように思えても、じつはかなり曖昧で、その時その時の状況によって大きく左右されている、というところでしょうか。
また、前述の『ソーシャル物理学』には、面白い知見があります。「結論」とした上で、下記のように宣言しています。
略)最善の学習戦略は、エネルギーの90パーセントを探求行為(うまく行動していると思われる人を見つけてそれを真似する)に割くことだった。そして残りの10パーセントを、個人による実験と考察に費やすのが良い(略
さらに同著では、例外に注目する、ということも述べています。つまり、みんなと違うことを言う人のことです。前述のエコーチェンバーの中(情報が情報を呼ぶ世界)にあって、多数派に流されない人は、それだけ強力な情報を持っているのかもしれない、という知見です。
当然、その少数派の情報が、果たして本当に有効な情報かはわかりません。しかし、もしあなたの好きなアングラーのボックスに、古くて今では誰も言及しないアメリカ製クランクベイトが入っていたら……、それは、「アタリの情報」かもしれませんね。
個人的なことを述べさせてもらえば、「自分で見たことを信じる」という方針を採っています。もちろんいろいろな人が作ったさまざまな情報は、とても有益だと思っています。しかし、釣りは筆者にとって、遊びです。であるならば、遊びのプロセスを他人に任せてしまっては、他人の情報でスキップしてしまってはつまらない、とも思います。
もちろん、何かをするときには、早く上達したい、という感情を持ったりします。そのためには、やはり誰かに教わる必要があります。前述の知見の通り、90%を他人に任せてしまうが効率的なのだとは思います。ただ、それをなぞって「あ、あの人が言っていた通り、これで釣れた」と考えるよりも、「こういう現象があるからこうしてみたらどうか。やってみたら釣れた!」となった方が、楽しい気がします。
……ま、「だからオマエは上手くならないのだ」と言われれば否定できないのですが 🙂
もし、「それは違うだろ!」とか、何か良い情報の扱い方ががあれば、ぜひスマルア技研TwitterにMentionをください! おそらく、そうした集合知のようなものが、役に立つ情報なのではと思ったりもします。