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川の読み方——釣り人には何が見えているのか

 旅先で、あるいは日常で、川にかかる橋を渡る機会があると、つい下をのぞき込んで、魚の姿でも見えないかと探してしまう。
 ぱっと目につく生き物はたいていの場合、岸近くに浮いている水鳥か、河口近くならば、水面に漂うクラゲだろうか。
 運がよくても、ぽつんと浮いているカメが見えるくらいで、魚の姿を見かけた記憶はほとんど無い。

 釣りで川に出かける時も、魚を狙って川に近づくわけだが、魚の姿を直接目にすることはあまりない。
 まして、不用意に川べりに立ったりすれば、見える範囲にいたはずの魚たちもすっかり警戒して、物陰や深みに隠れてしまう。
 ほとんどの釣りは、こうした姿の見えない魚の目の前に、仕掛けを持っていく必要があるわけだ。

 見えない魚をどう釣るか——すなわち、見えない魚をどう見つけるのか。
 熟練の釣り人ほど、魚そのものではなく、魚がいる確率の高いポイントを探り当て、正確に仕掛けを送り込むことに心血を注ぐと聞く。
 特に渓流釣りでは、この一連の所作を表す言葉として「川を読む」という表現がある。
興味深いことに、これは英語圏でもそのまま ‘reading the river’ と表現されるようだ。

 今回は、多くの釣り人へのインタビューを通じて、この「川を読む」技術の正体に迫ろうとした1篇の論文を紹介しよう。

川を“読む”― ‘watercraft’―とは

 英国の地理学者、EdenとBearは、河川の地形について、釣り人がどのように捉え、利用しているかを調べるために、60人の釣り人に聞き取り調査を行なった。
 インタビューの大半は、河原や川の土手で個別に釣り人に声をかけ、一部は地域の釣りクラブの会合や、地元のパブ(!)で実施した。

 本来の目的は、「川でみられる様々な地形を、釣り人がどれだけ詳細に認識しているか?」というものだったが、聞き取りの過程で、釣り人たちがしきりに ‘river reading’(“川読み”) あるいは ‘watercraft’ という表現を使っていたため、そちらについて調べてまとめたのがこの論文である。

 なお、ここで登場した ‘watercraft’ は、釣り人の間では ‘river reading’とほぼ同義で使われており、‘water’ は「水(に関する)」、 ‘craft’ は「(ものを手作りするための)高度な技術・技」を指すことからすれば、日本語では「水読みの技術」とでもするのが良いだろうか。

 釣り人たちへの聞き取り内容をまとめると、 ‘river reading’ や ‘watercraft’ (川読み・水読み)とは、「川の様子を観察し、川岸の形状や水の表面の動きから、魚がそこにいるかいないかを判断すること」。

 ここで大事なのは、川を読むには、ただ水の表面を眺めればよいのではない、という点だ。
水の表面も含めた、川の風景から読み取れる様々な情報に基づいて、魚が居る(であろう)場所を判断してはじめて、川を“読む”と言えるのだ。

 陸上にいる私たちからは、たいていの場合、水中の魚の姿は見えない。
(もちろん、見えている魚を狙って釣る機会も少なくはないが。)
 それゆえ、魚を直接見ようとする代わりに、魚が確実に居るであろう(と感じられる)場所を探すのが常だ。
 この時に手がかりとするのが、水面の波紋や、川岸の形状といった川の様子である。それらをつぶさに観察するさまを、書物を読み解く様子にたとえて「川を読む」と表現しているわけだ。

 では、釣り人たちはどのように川を“読んで”いるのだろうか。
 インタビューを受けた釣り人のひとり、チャールズの説明を聞いてみよう:

『速い流れと遅い流れの境目には、水面に“ヨレ”ができる。たいていの魚は遅い方の流れの中にいて、速い流れの方をエサが流れてこないか見てるんだ。エサがあるのを見つけると、速い流れの中に一瞬だけ飛び出して、エサを取り次第すぐ戻ってくる。そうやって遅い流れの中で省エネしながらエサを待ち続けてるんだ。あるいは、障害物の後ろで流れのゆるくなっている場所とかね。』

(インタビュアー:“ヨレ”は目で見えるんですか?)

『もちろん、流れの速さの違いは見て分かるさ。水面に浮いてるものをただ観察していればいい―泡とか、葉っぱ、水草の切れ端、小枝でも―その中で、他より速く流れていくものが見つかれば、そのあいだが流れの境目ってわけだ。』

 このように、漠然とではなく、魚の居そうな場所の手がかり(今回は流速の差)を意識して水面を見つめ、釣るべきポイントを絞り込んでいく作業。
こうした一つ一つの作業の組み合わせが、「川を読む」という言葉で表されているのだ。

釣り人にだけ通じる“専門用語”の数々

 チャールズの使った “ヨレ”(あるいは“潮目”)という言葉のように、釣り人の間でのみ広く通じる“専門用語”はたくさんある。
 日本語と英語で共通のものを取りあげると、先に挙げた ‘crease’(ヨレ、潮目)の他にも、 ‘swim’(絶好の釣り場、穴場), ‘throat of a pool’, ’ripply’(落ち込み、瀬落ち), ‘glides’(トロ場)等々。
 こうした用語はどれも、多くの釣り人によって長年培われてきた実践的な知識が、1つの言葉にぎゅっと凝縮されたものだと言えよう。

 釣りの初心者は、こうした共通の言語を入り口にして、自らの体験を通じて少しずつ、川を読む技術を身につけていく。
 その点では、伝統工芸の職人見習いが、難解な言葉にあふれた書物と悪戦苦闘し、師匠の技を見様見真似で再現しようと修行を積みながら、少しずつ上達を重ねていく様とまったく同じだ。
 そう考えてみると、「川を読む」という行為に、工芸のための高度な技術を指す ‘craft’の語を当てるのも納得だろう。

道具を使って川を “読む”

 川読み(水読み)は、川の様子を手がかりに、魚の居るであろう場所を突き止める行為である。
 このとき、道具をうまく活用すれば、肉眼で見る以上に、川の様子をより詳細に知ることも可能だ。
 たとえば、偏光グラスをかけると、水面の反射光が抑えられて水中の地形がよく見える。
 あるいは少し間接的だが、オモリをつけてウキ下調整したり、ルアーを投げて着底までの時間を数えたりして釣り場の水深を測ることも、道具を使って川の様子を知る行為といえる。(人によっては、簡易魚探を投げて、釣り場の測深と魚の居場所探知までやってしまうかもしれないが、これは例外としておく。)
 このように、道具を使って人間の感覚を「拡張」することで、より良い川読みを可能にしているのだ。

「道具を使わない」という選択

 興味深いことに、川を“読む”ために道具を使うかどうかは、釣り人同士でもかなり違いがあった。
 論文の中でも、「道具(技術)は、釣り人にとって必ずしも “自動的な”(=あれば必ず使う)選択肢ではなかった」として、詳細にその様子を記している。

 たとえば、水温計を例にとってみよう。
 自らを釣りのスペシャリストと認めるティムいわく、

『水温計は決定的に重要だ。ほんの1℃や2℃違うだけでも、魚の行動は変わってくるからね。』

 対照的に、昔は水温計を使っていたが、今は使うのをやめてしまった、という釣り人の一人、ダニアンの話を聞いてみると、

『今日はいけそうだ、という感覚があるのに、水温計の読みが(釣りには向かないほど)低いのを目にすると、思考が邪魔されてしまう。水温計を持たない方がかえって自信を持って釣れるし、自分にどこまでできるか、やってみるまでわからないという楽しさがある。水温計があると(釣る前から釣れないだろうと分かってしまい)悲観的になりすぎてしまうんだ。』

 こうした意見の違いは、個々人の釣りのスキルや、釣りに求めるものに影響を受けるようだ。

『トーナメントで優勝するようなトップ層は水温計を使ってるけど、楽しみで釣りをする自分たちのような釣り人は使わないんじゃないかな。』(ディック)

『とてつもなく熱心な釣り人の中には、半日かけて辺り一帯の水深をくまなく調べ上げる真面目な人も居るようだ。ひたすら測深しまくって、浅場がどこにあり、ほかのあらゆるものがどこにあるか、水面下にどのような地形が広がっているかのイメージを頭の中に描きあげようとするんだ。自分にはそこまでできないし、やりたいとも思わないが…。純粋に楽しみのために釣ってるのさ。』(フランク)

 それぞれの釣り人がある道具を使うかどうかは、その道具が「自分の身体の一部として、自身の感覚を延長してくれるように感じられるか」に左右される。
 色々測ったり記録したりしながら、ここぞというポイントを決めて釣りを始める人にとっては、いろいろな道具を活用して釣り場の情報を得ること自体が、釣りの楽しみの一部になっている。
 対照的に、一切の道具を使わず、自分の五感で得られた情報で釣りをする人は、自身の身体で自然を感じることこそが釣りの楽しみなのだろう。

『私は水温計は使わないさ。なぜかって?水温が冷たすぎるかそうじゃないかくらい、自分で感じ取れるからね。』(ハリー)

十人十色の釣り模様

 見えない魚を釣るために、川の様子をつぶさに観察することで、魚の居(そうな)場所を見定める釣り人たち。
 「川を読む」という表現で、数多の釣り人たちが積み重ね、磨き上げてきた実践的な知識は、数多くの釣り用語として共有されている。
 その一方で、近年めざましく発展しつつある技術を、どのように、どこまで取り入れるかは、個々の釣り人が何を求めて釣りに出かけるか?によって様々のようだ。

 道具の使い方まで含めれば、ひとりとして同じ“読み方”をする釣り人はおらず、その川読みが正解だったか(=魚が実際に釣れたか)どうかも、一人ひとり違った経験になってくる。
 こうして築き上げた自分だけの川の“読み方”こそが、釣り人にとっての大切な財産なのかもしれない。
 だからこそ、他の誰とも違う、自分だけの釣りをするために、今日もまた、竿を担いで出かけていくのだ。

『私が釣りを好きな理由はそれに尽きる。魚を釣り上げることでも、釣った魚の数でもなく、どんな過程で釣り上げたのか、その日、その釣りから自分が何を得られたのかが大事なんだ。自分の身になる体験そのものが。私たちはみんな、自分自身の経験から学びたいもんだろう?釣り人は誰だって、長い経験を通じて、釣りってものをより深く理解したいものなんだ。』(チャールズ)

——吉田誠[国立環境研究所 琵琶湖分室、博士(農学)]

文献情報

Eden, S. and Bear, C. (2010) Reading the river through ‘watercraft’: environmental engagement through knowledge and practice in freshwater angling. Cultural Geographies 18: 297–314.

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