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僕的湖畔生活〜吉田幸二さん流・霞ヶ浦の知り方・関わり方 連載第6回

編集部より
今回の吉田幸二さん記事は、吉田幸二さんの、霞ヶ浦との関わり方について。水辺に関わり、よく知ることが、バスフィッシングを楽しむことにつながる。……そんな大事なお話です。

<これまでの連載はこちらから>
第1回:霞ヶ浦ってどんなとこ?基礎から知って釣りにつなげるための吉田幸二さん新連載!
第2回:吉田幸二流 霞ヶ浦のバスフィッシングと、それを支える「考え方」
第3回:霞ヶ浦にはどんなベイトフィッシュがいるのか? バスアングラー的霞ヶ浦魚種考
第4回:霞ヶ浦の魚 アメリカナマズ・チャネルキャットフィッシュのこと
第5回:吉田幸二流・僕のクランクベイト理論|霞ヶ浦マスターはクランクベイトをどう考えるか?

僕が霞ヶ浦に居を移したのは、いまから29年前の1992年の10月でした。 41歳の秋でしたねぇ。 それまでは東京都文京区の大塚で、龍意(ルイ)と言う喫茶店を営んでいましたが、何をトチ狂ったのか茨城県の霞ヶ浦に移住することを決意しました。

平成元年生まれの娘の遊び場となる安全で快適な公園が、東京から無くなりつつあったからです。 また、子育てに安心や安全が担保されない状況があったからです。 そんなことを感じつつの東京暮らしだったので、霞ヶ浦の畔に移住・・・なんてぇことを考えたら居ても立ってもいられず、住居探しに通いましたね。

霞ヶ浦への引っ越しには、もう一つの大きな理由がありました。 それが1990年に創設したW.B.S.(World Bass Society)です。

トーナメントを開催することで、市町村に賑わいをもたらします。 強いては県にとっても霞ヶ浦の魅力を発信する良い機会です。 なんてぇことを言っても、誰も耳を貸してはくれませんでした。 それは僕が東京都民だったからです。

それなら茨城県民になってしまえば良いんだ。 すごく単純で明確な答えに行き着きました。 で、家を探し、住民票を移し、阿見町に住むようになりました。 1992年の秋でした。僕の霞ヶ浦湖畔生活が始まりました。

仕事? 喫茶店を開く? 釣具店を始める? そんな気は毛頭ありませんでした。 当時は、バスフィッシングが人気で、フィールド情報が仕事になりましてね。 釣り雑誌もたくさん出版されていましたからね。 1984年にバスプロ宣言をしていたこともあって、仕事は次々に入ってきました。 正直言って一日一仕事・・・なんて偉ぶっている時期もありました。

ですからバスフィッシングにどっぷりな生活でしたよ。 毎日、来る日も来る日も釣りをしていましたね。 それが仕事でしたからね。

家から坂を下って大室の湖岸線に行けば、ほぼ確実に釣れました。 水門でもヨシ原でも、コンクリート護岸でも、何処にでもバスがいて、それこそいろんなルアーで釣れました。

コンビニエンスストアーが今ほど乱立していなかったので、車にポットとクーラーボックスを積み込んで、食料や飲料を確保していました。 それを車の中で食べるのではなく、イスが一体になっている簡易テーブルを車から出して、湖岸に設置して食べるんですね。 これがとてつもなく贅沢で美味しかったことを思い出します。

その昔にキャンプを経験していましたから、それくらいの簡単な設えはお茶の子さいさいでした。 前の日に買っておいたコッペパンも、作り置きしたサンドイッチも、 おむすびやビスケットぐらいであっても、 お湯の入ったポットがあると、味噌汁やコーヒーが飲めましたからね。

時間に余裕があるとコールマンのシングルバーナーで、 お湯を沸かしてコーヒーを点てたりもしましたね。 ええ、アルミのパーコレーターでした。 物置にまだあるんじゃないかな?

そんな経験があったから、バスフィッシング+αを常に考えていました。 それは、楽しくないと釣りじゃないからです。 一人でも、カミさんと二人でも、数人の釣り仲間と一緒でも、 楽しみながら・・・が一番の喜びなんですね。

その延長線上に今の暮らしがあります。 Fish村と名付けた場所に仲間が集まって、BBQを楽しんだり、 薪ストーブを囲んで釣り談議に花が咲いたりしました。 吉田漁協なんてぇ釣りのグループを作って、 淡水小物釣りからメーター級のアメリカナマズを狙っています。

清明川・埴生浄化施設のこと。

そして現在積極的に活動をしているのが、 清明川河口にある植生浄化施設の維持管理です。 この施設、全体では東京ドームほどの広さがあります。 敷地内には、ヨシやマコモ、ヤナギなどの植物が繁茂しています。 その植生帯に清明川の河口から吸い上げた水を流して、 ヨシ原で濾過し再び霞ヶ浦に流し出す・・・と言う仕組みの水質浄化施設です。

2018年、未だヒメタニシばかりだった。

その年の夏、ザリガニが大量に捕れた。

10年ほど使われていなかったこの施設を再び稼働することを思いつきました。 水質浄化という目的は勿論ですが、 様々な生き物が棲む導水路や植生帯の復活を望んだからです。 幸いなことに国土交通省霞ヶ浦河川事務所の快諾と協力を得て、 現在はこの施設の維持管理を仲間たちと一丸になって行っております。

最初は草を刈ったり、導水路内の生き物を調査したりなどの活動でした。 が、現在では草刈りは勿論こと、ヤナギの木の伐採や溜まった土の除去、 導水路への水生植物や砂、ブロックの投入など、多岐に渡って行っています。 願いは、この導水路から様々な命が、霞ヶ浦に流れ込むようにしたいからです。

水中の生き物の数が増えることで、 生き物の体内で水溶した毒物を無毒化できると考えています。 また、草刈りをして導水路に直射日光を当てることでも、 水に溶けだした毒物が除去できるとも考えています。 昔から日光消毒って言いますからね。 滅菌作用のある紫外線効果でしょうね。

2019年、遂に二枚貝を発見した。喜びは一入(ひとしお)である。

 

生物たちは生きている限り食物を口にします。 その食物に毒が含まれていると、体内に取り込まれて蓄積して行きます。 次にそれを食べた生き物に毒が入って、毒はさらに強くなりますが、 水中に溶け出すことはありません。 生物の内臓器官で消化されて無毒化することもありますし、 体内の毒袋の中に留められることもあります。

具体的な例として、フグ毒のテトロドトキシンがありますね。 これはヒトデや貝が持っている毒が生物凝縮して体内に蓄積されるからです。 この導水路には日光や生物による毒消し、そんな作用があるんじゃない? なんてぇことを思いつつ、皆で維持管理を行っています。

この植生浄化施設から様々な生き物たちが産まれ出て、 霞ヶ浦の水質浄化に貢献することを期待して、 今年もせっせと維持管理です。 明日に繋ぐ未来づくり・・・です。

切り欠きに角パイプを入れて水位調整を図った。

これが切り欠き

角パイプを入れるとこうなって水位の調整が出来る。

タカを括っていました。

東京ドームほどもあるヨシやオギの草原に加えて、950mの距離のある導水路、 この管理はことのほか大変で、プロフェッショナルではない僕たちには、 草刈り一つでも一人が出来るのは精々100mです。 950mと言うと10日近くを費やすことになります。

草刈、泥浚い、泥剥がしは体力がいる作業だ。これを950mも行っている。

 

それで済めばよいのですが、刈ったそばから草は伸びてきます。 盛期には一ヶ月経ってしまうと、元の草原になっていますからね。 つまり、950mの草刈りが終わった頃には、 最初に刈り取った場所は草ボウボウってことです。 恐るべし、植物! であります。 本当にタカを括っていました。

950m進んで、また初めから……

 

それでも何とか続けていられるのは、 この導水路を通じて植物によって浄化された水が霞ヶ浦へ流れ出し、 貝の幼生グロキディウムも同時に流れ出したり、 エビの子ども(ゾエア)たちが流れに乗って霞ヶ浦に泳ぎだしたりして、 霞ヶ浦の底辺づくりになるからです。 水の流れが生み出す大きな変化に僕たちは期待しているのです。

 

繰り返し……

なぜやるのか。

最初の3年ほどは、導水路に何も手を加えずにそのままにしていたのですが、 その後、流れをせき止めている植物を取り除いたり、 二枚貝が増えはじめたので砂を入れたりしました。 霞ヶ浦産の砂を50ℓバケツに15杯ほど運び込みました。 案の定、二枚貝は砂地を好むようで、砂を入れた場所で順調に増えています。

二枚貝が大量に捕れた。その分ヒメタニシが減った気がした。

 

また、流れを変化させるためにバーブ型の水中堤防を設置しました。 本来は割栗石で組めばよいのですが、そんな資金も助っ人もないので、 煉瓦やブロックを使って作ってみました。 水の流れに緩急をつけることで、棲息する生物が異なるからです。 流れに対して逆らうように設置された水中堤防は、 急な流れと緩い流れを生み出し、水中生物たちに快適生活を運び込んでくれます。

泳力のあるものは急な流れをものともせずに泳ぎ回り、 泳力のないものは緩い流れの中で静かに暮らします。 それでも水中の生物たちは流れを好みます。 それは、永遠と思えるような食料の補給をもたらすからです。 生き物にとって食料はなくてはならないものなのです。

流れの緩いところにはどんな生き物が棲みついて、 流れが急なところにはどんな生き物が好むかを理解すると、 魚釣りの大いなるヒントになります。 このヒントが多かったり、細分化されている人ほど、 目指す魚を見つけるのが上手な人になれるのでしょう。

僕たちは今、この施設を活用してそんな研究を始めています。 それは取りも直さず、将来に渡って霞ヶ浦での魚釣りが、 楽しめる環境であって欲しいからです。 つまり、釣り人が最終的に目指すべきことは、 持続可能な釣り場づくりや釣り場の維持管理だと思うのですね。 そう、今話題の魚釣りのSDGsですよ。

ゴミ拾いもしかり、植生浄化施設の維持管理もしかり、 僕たちはSDGsを釣り人として実践しているのです。 だから、大変な労力と知恵が必要なんですね。

写真提供:ゴッドハンド金澤

<シリーズ記事>
第1回:霞ヶ浦ってどんなとこ?基礎から知って釣りにつなげるための吉田幸二さん新連載!
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番外編:クランクベイト入門・実践編 ロッドは?おすすめのルアーは?吉田幸二さんに聞くクランクベイト・前編
番外編:釣れるクランクベイト使いになるために 実践編 吉田幸二さんに聞くクランクベイト・後編

1951年生まれ。日本のバスフィッシングの創成期から活動するアングラー。数々のトーナメントで活躍したのち、霞ヶ浦のトーナメント団体W.B.S.を立ち上げる。霞ヶ浦を舞台にした「Basser All STAR CLASSIC」では、並み居る日本のスター選手を抑え優勝。霞ヶ浦を知り尽くしたアングラー。

NPO水辺基盤協会 理事長

ブログ:熱血! 幸運児

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